福島|震災と原発災害を見る


2011年7月南相馬市(原発20km圏境界)

2021年3月 JR双葉駅
 2011年3月11日、東北沿岸部を中心に未曽有の被害をもたらした「東日本大震災」。
 福島県でも、地震、津波、さらに原発事故まで加わり、甚大な被害を受けました。特に福島第一原発20km圏内や北西方向の町村では長期に渡り立入が制限され、復興への道のりも長くなっています。
 原発が立地する大熊町・双葉町では、2020年3月になって、ごく一部の地域の避難指示が解除されたばかり。現地では、原発事故災害についても伝承しようとしています。
 弊社スタッフが個人的に支援と併せて視察してきた、当初の模様と合わせてご紹介いたします。
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福島のみどころ

震災から10年。原発周辺地域の今

 震災から満10年を迎えた翌日、2021年3月12日に原発に近い双葉町、浪江町を訪問してきました。

双葉町| JR双葉駅旧駅舎

 2020年3月常磐線が再開通し、新駅舎が開業しましたが、隣に旧駅舎屋も残され、休憩所や展示スペースなどに利用されています。
 シンボルだったからくり時計は、14時46分を指したまま止まっています。
 駅周辺では、まだ倒壊した家屋や店舗が残されたまま。揺れの大きさを静かに物語っていました。

双葉町|東日本大震災原子力災害伝承館

 双葉町で立ち入りが解除された沿岸部に建てられた「東日本大震災・原子力災害伝承館」。
 こと原発事故を中心に、当時の映像や写真を使って展示されています。
 私たちは緊張感も感じながら見学するのですが、実際に現場にいた住民の方々にすれば、この何十倍、何百倍もの出来事だったはず。きっと伝えきれていないモノもあるはずですが、それでも1度は見ておくべき展示かと思います。

周辺は一見、何もない野原のように見えますが、津波に襲われ、がれきが撤去された跡地です。
 

浪江町|請戸小学校(震災遺構・整備中)

 双葉町に隣接する浪江町の海から300mのところにある請戸小学校。津波の脅威を物語るこの校舎は、2021年秋、震災遺構として公開される予定です。
 当時の学校にいた生徒・先生方は、津波が到達する前に、2kmほど内陸の大平山に避難。全員無事でした。
 しかし、その後、間もなく原発事故による避難指示が発出されることになりました。  

・大平山霊園

 請戸小学校から約2kmほど内陸にある大平山。ここから浪江町沿岸部一帯と、遠方に請戸小学校の姿も見えます。
 決して何もなかったのではなく、この一帯にも多くの住宅や建物があったそうです。

 大平山は霊園となっており、被災者の慰霊碑も建てられています。

富岡町|夜ノ森の桜並木

富岡町夜ノ森の桜並木
(桜の写真は「福島県観光物産交流協会」提供)
 富岡町誇りの桜のトンネル。
 始まりは明治時代の植樹に由来し、樹齢80年以上の木も多いです。
 原発事故後、全域が避難区域となった富岡町。2017年4月、並木道の一部を含む町面積の約88%で避難指示解除されましたが、並木道を含む周辺では、まだ帰宅困難地域が残されています。
 町民の方は勿論、この周辺地域の方々にとって想いを寄せる場の1つとなっています。

震災発生からの経緯

震災発生からの経緯 以下は、ほんの障りにしかすぎませんが、震災当初からの経緯と、その後、弊社社員が個人的な東北支援活動の際に撮影してきた写真で被災地の様子をご紹介します。

原発事故発生~避難開始までの概略

2011年3月11日
14時46分 地震発生(原発周辺では震度6強)
 各原子炉は緊急停止。外部電源喪失や損傷のため、非常用電源に切り替わる。
15時30分 福島第一原発に高さ13~16mの津波が襲来。
 非常用電源も海水に浸かり、全電源喪失。計器類も動作不能に。
 (1号機は冷却機能喪失、原子炉の温度が上昇、19時頃に炉心融解が始まる?)
20時50分 福島県は第一原発1号機から半径2km圏内(大熊町・双葉町の一部)に避難指示。
21時23分 国が半径3km圏内に避難指示(3~10km圏内は屋内退避)
 23時頃、1号機原子炉の圧力異常上昇を確認。
 手動によるベント(格納容器内の蒸気を放出する緊急措置)の準備がはじまる。
 
2011年3月12日
5時44分 福島第一原発半径10km圏内に避難指示
(7時45分 福島第二原発でも水温上昇のため3km圏内に避難指示)
14時30分 ベントには成功するも作業員が被曝。
15時36分 福島第一原発1号機 建屋 水素爆発
(17時45分 福島第二原発10km圏内に避難指示)
18時25分 福島第一​原発半径20km圏内に避難指示
(4月22日以降「警戒区域」となり立入禁止に。2012年4月以降一部を除き「帰宅困難区域」に)

 避難開始当初、停電もあり、対象住民に原発事故発生について正確には伝わっていなかったようです。余震のための避難かと思い、すぐに帰れるつもりで、着のみ着のままで避難した方も多く、避難後、建屋の水素爆発の報道で初めて知った方もいたようです。

2011年7月撮影(南相馬市)

 南相馬市も、第一原発から20km圏内は立入禁止に。20km圏外も、海側は津波に遭い、まだあちこちに海から流されてきた漁船が撤去できずに残されていました。

2012年5月(南相馬市)

 1年経過して、原発20km圏内でも放射線量が低かった南相馬市小高区内への立入が許されましたが、当時、居住はまだ許されず、誰もいない町となっていました。国道6号線より海側の沿岸部にも住宅が並んでいたとのことでしたが、津波に遭い、まだ荒れ地のような状態でした。

2013年12月(南相馬・浪江町境)

 南相馬市と浪江町境にある牧場へ。牛たちは牧場内で放牧のまま。浪江町内へはバリケードで封鎖され立入禁止。線量計は4.03μ㏜/hを表示していました(この場所は現地の方のアドバイスを受けつつ、5分程度の視察で終了しています)。

2014年5月

 2012年に訪れた小高区の沿岸部へ。ここはまだ何も変わらず、そのままの状態。
 しかし、6号線を少し北上すると突然、黄色い菜の花畑が…! 海から近く、津波でご家族も亡くしたそうですが、再びここに住むと決めた住民の方が、家を建て直し、この地に笑顔で暮らせるようにと、菜の花畑を一面に作ったんだそうです。その前向きな姿に、希望と励ましをいただきました。

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