日本統治時代の建築物

 かつては日本が統治していた台湾には、日本時代の建造物が多く残っています。建築物自体に関心はなくても、台湾の歴史と共に見学すると、台湾理解がより一層深まります。
 観光で巡ってみたら面白いと思われる台北市内の日本建築物をピックアップしてみました。

台北 総統府とその周辺

 総統府を周辺とする一帯には、日本統治時代の建物の多くが現役で使われています。日本と同様、地震の多い台湾において、日本の建築物は耐震構造に優れていたという点も挙げられます。

中華民国総統府(旧:台湾総督府)

台湾旅行 台湾総督府 日本統治時代の象徴的かつ代表的建造物といえば、現在の総統府、台湾総督府の建物でしょう。
 1919年に完成。基本設計は、戦前、日銀本支店の建築を多く手掛けた長野宇平治で、日本初のコンペ(デザイン競争)で選ばれました。
 赤レンガに白い石を挟むデザインは、長野の師とも言うべき建築家・辰野金吾が得意としていた技法で、「辰野式建築」と呼ばれ、総統府もその代表例として挙げられています。

 当初のデザインでは、中央の塔はもっと低かったのですが、総督府としての威厳を高めるため、総統府の営繕課高さ60mに変更されました。
Photo:Peellden(CC)
 南隣の司法院と共に、真上からみると、日本の「日」の字に見える形になっています。完成当時、赤レンガの建造物の中では、日本で最も高い建築物となりました。
 第二次大戦末期の空襲によって内部は全焼、建物も大きく破損しましたが、中華民国政府が修復。1949年、台湾に中華民国の首都機能を移転以降、中華民国の総統府として利用されるようになりました。
 現在、国定古蹟としても登録されており、平日の午前中は内部見学も可能です(撮影は不可)。

司法院「司法大厦」(旧:台湾総督府法院/裁判所)

 総統府の南側に並んで建つのが司法院(司法大厦)。
 1934年(昭和9年)に完成。設計者は後に台湾建築学会会長となった井手 薫。現存する済南基督長老教会(旧:日本基督教団台北幸町教会。1916年建立)も手がけています。
 台湾総督府法院には、高等法院、台北地方法院、検察局が設置され、台湾における最高司法機関でした。
 戦後、台湾に移管後も、司法院、最高法院(現在は移転)として機能してきました。4階部分は1977年に増築されたものですが、国定史跡となっています。

台湾銀行本店(旧:台湾銀行)

 総統府の北側隣に立つのが台湾銀行。
 日本統治時代には、発券業務を受け持つ中央銀行でありながら、台湾最大の商業銀行としても運営されていました。中華民国になってからも台湾では商業銀行でありながら、2000年まで発券業務も行う特殊銀行でした。
 1960年代の銀行を舞台とする、2007年放映の日本のドラマ「華麗なる一族」(原作:山崎豊子)で、銀行のロビーがロケに使われました。

台北市立第一女子高級中学(旧: 台北第一高等女学校)

台北第一高等女学校 司法院の真向かい、総統府の斜め向かいにあるのが、台北市立第一女子高級中学、現在でも名門中の名門の女子高校です。
 創立は1904(明治37)年、まず台湾総督府国語学校第三附属学校として開校。その後、1909(明治42)年に台北州立第一高等女学校となり、1922(大正11)年台北第一高等女学校と改称されます。
 現在の校舎は、1932(昭和7)年に建てられた鉄筋コンクリート製です。関東大震災を経て、当時の耐震構造基準に則した建物になっています。

台湾理解を深める。ニニ八和平公園と紀念館

 総統府からも近い位置に、ニニ八和平公園と、ニニ八紀念館があります。
 ここも日本統治時代の遺産ですが、日本の統治が終わった1947年2月28日、新たに統治者となった中華民国(国民党)と民衆が激しく対立するニニ八事件が起こります。むしろ日本統治が終わってからの台湾にとって意味深い場所となっています。 (→「台湾を知る『ニニ八事件』

ニニ八和平公園(旧:台北新公園)

ニニ八和平公園 日本統治時代に入り、都市計画の一環として造成され、1908年に開園。台湾初のヨーロッパ風近代的都市公園で、台北新公園と名付けられました。
 公園北側には「児玉総督後藤民政長官記念館」(1915年完成。のちに台湾総督府博物館と改名。現在の国立台湾博物館)も建設されています。

 1945年に日本が撤退後、中華民国(国民党)政府による統治が始まりますが、国民党政府と元々台湾に在住していた本省人との対立が激化、1947年2月28日、ニニ八事件が勃発します。
ニニ八紀念碑
 政府は武力で弾圧。不当逮捕や処刑、無差別発砲も行われました。その後も中華民国が台北遷都すると、38年に渡って戒厳令が引かれ、厳しい言論統制が行なわれた台湾では、このニニ八事件について公に語られることはありませんでした。
 公にこの事件が語られるようになったのは、戒厳令が解除される1987年以降になってからのことです。
 1996年2月28日、当時の台北市長陳水扁(後に中華民国総統)が公園の名称を二二八和平公園に改称し、二・二八事件で犠牲者を追悼する和平紀念碑も作られました。

ニニ八紀念館(旧:台湾放送協会 台北支局)

ニニ八紀念館 日本統治時代、NHK日本放送協会の台湾版として設立された放送局が、台湾放送協会(THK)。
 台北支局の建物がニニ八公園の中に現存し、1996年になって、ニニ八事件や独立運動に関わる史料とともに「ニニ八紀念館」として公開されています。ニニ八事件の当時には、中華民国政府が接収していましたが、民衆が占拠。ラジオを通じて、統治時代の台湾で暮らした台湾人なら誰しもわかる日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」と呼びかけたのでした。

台北にあるその他の日本時代の建物 

 その他にも日本統治時代の建物はありますが、ここはというスポットをご紹介しておきます。

西門紅楼

西門紅楼  台湾の若者が集まる西門町の駅のすぐ近くに、八角形のレンガ造りのレトロな建物があります。1908(明治41)年、台湾総督府営繕課に所属していた建築家近藤十郎の設計により、台湾初の公営の市場として建てられた西門紅楼です。裏手には、十字型の十字楼があります。
 この西門町一帯は、旧来の台北の街の西側に、日本が新しい商業、娯楽街として開発した場所で、「西門町」という町名は、現在の地名ではなく日本統治時代の名残です。
 1945年中華民国に移ってからは、主に劇場として、1960年代は映画館、老朽化のため一時低迷もしましたが、1997年には三級古跡に指定、基金によって再生し、築100年を超えた今も、芸術、イベント、カフェ、また紅楼の歴史を物語る展示館として活躍しています。

北投温泉博物館(旧:北投温泉浴場)

北投温泉博物館 台北で有名な温泉地の北投にある、1923年に建てられた公共温泉浴場が、現在の北投温泉博物館です。
 レンガ造りに瓦屋根、洋和風的な建物で、1階には大浴場(男湯)や女湯など浴室があり、2階は大広間を中心に、北投温泉の歴史や北投石も展示されています。
 元々、この地には公衆浴場の滝の湯(現存)が営業していましたが、この公共温泉浴場を皮切りに台北州庁の手によって温泉地として開拓されました。
 中華民国政府に接収後、かなりの間、放置されていましたが、現在は博物館として修復整備され、台北市政府により第3級古跡にも指定されています。

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