烏来(ウーライ)

台湾旅行 烏来  台北の南郊外の山間、淡水河の支流、南勢渓の上流にある烏来(ウーライ)。
 この一帯は台湾先住民族の一つタイヤル(泰雅)族が住んでおり、「ウーライ」の名も、タイヤル族の「湯気が立つ湯(温泉)」を意味する言葉を聞き、音を漢字にあてはめたもの。
 その名の通り温泉も出ますが、温泉以上にタイヤル族の民族舞踊や料理 、また景観など、台北からの日帰り観光地として、おすすめの場所の1つです。

タイヤル族の文化が香る烏来老街

 烏来老街のメインストリートとなるのが「烏来街」。
 地元タイヤル族の店が連なっており、民族文化を色濃く醸し出しています。
 団体旅行では難しいですが、小グループでの旅行であれば、通りの食堂で地元の料理も味わってみるのも面白いかもしれません。竹筒で炊いたおこわ(竹筒飯)や、川エビの素揚げ、猪の焼き肉、また店先に並べた地元の野菜などを調理してくれます。味はあっさりめで、日本人の口にもよく合います。
 通りを歩いてみるだけでも、独特な雰囲気を楽しめます。小米酒(アワ酒)、アワ餅といった特産品も、販売されています。

烏来の地元の野菜烏来 地元に根差した民族料理烏来街 猪の丸焼き

南勢渓に掘られた露天風呂

烏来の露天風呂 「ウーライ」とは元々温泉を指した言葉。
 その名の通り、烏来は温泉がわき出ていて、烏来街の対岸には、南勢渓に露天風呂が彫られています。ここでは水着着用です。
 烏来周辺には温泉施設が数多くありますが、台湾内では沸かし湯ではないかという噂(憶測)もありますが、ここは確実に本物です。
 泉質は弱アルカリの炭酸泉。温泉目的なら、正直、北投や陽明山の方がよさそうです…(^_^;)

烏来の林間を疾走するトロッコ

 烏来街から橋を渡った対岸にはトロッコ列車が走っていて、老街(台車駅)から烏来滝の対岸付近(瀑布駅)の間で運行されています(荒天時、また整備等で運休になる場合があります)。
 このトロッコは、元々1928年の日本統治時代、伐採した木材や器具を運搬するために敷設されたもの。景色を楽しむという感じではありませんが、そこそこのスピードで烏来の林間を抜けていきます。片道でも乗車してみると面白いかもしれません。

タイヤル族の歴史と文化を展示「烏来泰雅民族博物館」

烏来泰雅民族博物館 烏来街の入り口付近には「烏来泰雅(タイヤル)民族博物館」があります。
 地上3階建ての建物で、烏来とこの地に暮らすタイヤル族の歴史、狩猟や刺青、楽器などの伝統的文化や風習、信仰と祭りについて理解を深めることができます。
 タイヤル族は、烏来だけではなく北部から中部にかけての山岳地帯に多く住む、台湾で2番目に多い先住民族です。さらに先住民族、タイヤル族について理解を深めたい人には、おすすめです。

烏来に来たら見ておきたい活力村の民俗舞踊と烏来滝

烏来おすすめ 民俗舞踊 渓谷を挟んで烏来滝を目前としたロケーションにある温泉ホテルに併設されている活力村のGaga劇場。
 430名収容できる本格劇場で、照明や演出も凝らしながら、ストーリ仕立ての民俗舞踊を通して、タイヤル族の歴史や文化を紹介しています。公演は1日3回(劇場の事情で異なる場合があります)。
 最後のラストシーンでは烏来滝にちなんだ、あっと驚く演出も用意されています。詳しくは、見てのお楽しみ…。
 レストランもあり、タイヤル族の民族料理も楽しめます。

台湾最大級の白糸の滝「烏来滝」

烏来の白糸の滝 烏来滝は、落差82mの台湾では最大級の白糸の滝です。
 タイヤル族にとっては「雲から来た滝」という名で呼ばれる神聖な場所の一つ。

 対岸から、さらにケーブルカーを利用して、谷を越えて滝の上までいくこともできます。滝を鑑賞しながらのスリリングなひとときが楽しめます。
 滝の上には「雲仙楽園」があり、ここから眺める南勢渓も絶景です。季節には桜も咲き、また森林浴も楽しめます。

烏来高砂義勇隊慰霊碑

 烏来滝の対岸、山側に登った公園内に、高砂義勇隊の慰霊碑があります。
 高砂義勇隊とは、第二次大戦時に結成された台湾先住民族による旧日本軍の部隊です。
 勇敢さを誇る民族的な精神と、目や耳がよく、山岳地帯にもなれた身体能力の高さが買われ、主に東南アジアの密林で力を発揮。日本兵が驚くほどの勇猛果敢な戦いぶりで、多くは帰らぬ人となりました。
 台湾に帰還した兵士たちも、日本が敗戦し中華民国となったため、いわば敵国の軍隊で戦っていたこととなり、好印象は持たれず、また国自体が変わってしまったことにより、旧日本軍の給与も未払のまま、遺族年金等も受給されませんでした。
 高砂義勇隊の慰霊碑については、賛否両論あるのも事実です。メインの碑文は李登輝前総統の筆による「霊安故郷」の文字が刻まれていますが、日本でも募金が募られた経緯もあり、贈呈された碑文の中には「皇民」「大和魂」などの文面が刻まれたものもあるため、反発の声もあります。
 しかしながら、かつて高砂義勇隊が、旧日本軍の一員として戦った事実には変わりはありません。