台南・塩水蜂炮

おすすめ台湾旅行 台南
 台南は近代台湾の発祥の地。
 海外貿易の拠点としてオランダなどの西洋列強に目を付けられた台湾を独立へと導いた鄭成功にちなんだ史跡も多くあり、以後の歴史を多く刻んでいます。
 日本との関わりも深い土地の一つです。日本統治時代建築の「林百貨」、郊外には八田與一が設計した「烏山頭水庫」もあります。
 旧暦の旧正月15日には無数のロケット花火が飛び交う「塩水蜂炮」も行なわれています。

台南で一番古い史跡「赤崁楼」

台南旅行 赤嵌樓
 赤崁楼(赤嵌樓・せきかんろう)は、1652年にオランダ人がプロヴィンシア城(「普羅民遮城」)として建設。漢民族の間では「赤崁楼」「紅毛樓」とも呼ばれていました。1661年に鄭成功がこのプロヴィンシア城を攻略、オランダ勢力を排除すると、「東都承天府」として政治の中心となりました。
 1862年に地震により建物は全壊しますが、19世紀後半には再建。日本統治時代にも修復工事が行われ、病院、また医学生の宿舎として利用されました。戦後も度々修復工事が行われ、現在は国家一級古蹟に指定されています。

台湾最古の最高学府「台南孔子廟」

おすすめ台南 孔子廟
 台北にも孔子廊はありますが、こちらが台湾最初の孔子廊、当時の最高学府になります。
 鄭成功がオランダ勢力を台湾から排除し、翌年それを継承した鄭経は教育事業に力を入れます。1665年に創建、「全台首学」と掲げられ、いわば台湾初の国立大学でした。

 300年に渡る歴史の中では、時代の変遷とともに改修工事も行われてきましたが、当時の建築文化の面影は色濃く残されております。

台湾の英雄 鄭成功を祀った延平郡王朝

台南旅行 延平郡王朝
 台湾を占拠していたオランダ勢力を排除し、台湾独自政権を樹立させた鄭成功の功績を称え、1662年に創建、当時は「開山王廟」と名づけられました。その後、1875年に、清朝の大臣・沈葆禎によって福州式建築の新しい祠が建てられました。

 日本統治時代には、開山神社となり、一部、神社形式も取り入れらますが、本殿はそのまま使用されていました。戦後、中華民国政府によって、鉄筋コンクリート製で中国北方式建築に改築、その後、1985年に開山王廟当時の福州式で再び改築されています。
 ちなみに彼の母親は日本人で、7歳まで平戸で過ごしていました。

昭和初期の趣そのままに「林百貨」

台南旅行おすすめ 林百貨
By Pbdragonwang [CC BY-SA 3.0 or GFDL], via Wikimedia Commons
 日本統治時代の1932年(昭和7年)、山口県出身の林方一氏が開業した林百貨店(林デパート)。
  1945年(昭和20年)には空襲も受け、廃業。その傷跡は現建物でも保存されています。戦後も建物は残り、製塩企業の事務所他で使われていましたが、1980年代よりしばらく空きビルと化していました。
 しかし1998年、市の古跡に指定されると、修復作業が行われ、2013年1月に完了。2014年から、特産品を販売する「林百貨」として営業されています。

曜日ごと変わる台南の夜市

台南旅行 夜市おすすめ
 台湾旅行の楽しみの1つは夜市。
 台南の夜市は、台北とは異なり、曜日ごとで開く夜市(場所)が異なります。大小様々な夜市がありますが、よく賑わっている主な夜市はこの3つ。
・大東夜市…月、火、金
・花園夜市…木、土、日
・武聖夜市…水、土
 数々の露店が並び、様々なB級グルメも楽しめます。ぜひ、のぞいてみてください(^^)

担仔麵と言えば度小月、度小月と言えば台南!

 台南と言えば、度小月とも言われるほど、創業100年の老舗有名店。今でこそ台北にも支店を構えていますが、やはり台南に来たからには味わいたいところ。麺はもちろんダシにも使われる海老、その他の具材、肉そぼろを煮込む鍋や釜にまでこだわりを持っています。
 日本人にも合う味で、小ぶりの椀に出てきます。まずは一杯、召し上がれ!(^O^)/
台南旅行 度小月度小月の担仔麺
 

過激なロケット花火祭「塩水蜂炮」

台南旅行おすすめ 塩水蜂炮
(画像提供:台湾観光局/台湾観光協会)
 毎年、旧暦の1月14日~15日(元宵節)にかけて、台南市の塩水(鹽水)でロケット花火が飛び交う過激なお祭。世界三大民族祭りの1つにも数えられ、台湾では「北の天灯、南の蜂炮」と言われています。
 発祥は、コレラが流行した際、厄除けに、爆竹を鳴らして巡回したことから。無数のロケット花火が発射され、ロケット花火に当たれば当たるほど縁起がいいとされてはいますが、けが人も多数出ます。
 見学にも、完全フルフェイスのヘルメットに不燃性の防火服、軍手等、完全防備が必要です。
●見学時の格好と実際の様子(2016年元宵節前日)
 ヘルメット、麻製の襟巻、マスク、手袋は現地でも売っています。不燃性の服装はご用意ください。
 左の男性スタッフのダウンは可燃性だったため、見学後には焦げて穴が空いていました。薄手の部分にあたると相当痛く、肌の露出は厳禁、目にあたると失明の危険も。くれぐれも厳重装備で!
塩水蜂砲見学時の服装ロケット花火が飛び交う塩水蜂砲
 

烏山頭水庫と八田與一記念館

台南旅行 烏山頭文庫
 戦前、先進的な大規模ダムと灌漑システムを造り上げた日本人土木設計者、八田與一。日本ではあまり知られていませんが、台湾では有名な人物です。
 このダムによって、土地に塩分が多く、干ばつも多かった嘉義から台南にかけて広がる嘉南平野一帯の農業用水を確保、台湾でも有数な穀倉地帯へと変えたのです。
 今でも慰霊祭が行われ、多くの台湾人たちも参列しています。

八田與一記念公園
 日本統治時代の1930年(昭和5年)に、八田與一によって計画設計された烏山頭水庫(烏山頭ダム)は、コンクリートを使わず、粘土・砂・礫を使用した工法によりダム内に土砂が溜まりにくく、現在でも世界三大水利工事プロジェクトの1つと称えられています。
 1942年5月、陸軍の命令によって、フィリピンの灌漑調査のため、広島から出港しましたが、アメリカ海軍の潜水艦に撃沈、亡くなってしまいました。
 台湾では、特に高齢者を中心に八田の業績を高く評価しており、與一の命日である5月8日には烏山頭ダムで慰霊祭も行われています。
 現在、烏山頭ダムのそばには、八田與一の銅像や墓、記念館も立っています。