百済の歴史 後期サビ時代
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百済の歴史

■後期 サビ時代(538年 - 660年)

 サビに遷都した聖王(「聖明王」)は、国号も「南扶余」と変えましたが 、その名は定着しなかったようです。

 551年、聖王は、新羅・加羅諸国と連合して高句麗と戦い、旧都の漢城地方を取り戻しますが、翌年、高句麗と連合した新羅に奪われ、同盟関係にあった新羅と対立が生じます。そのため聖王は、倭国に援軍を要請、仏像・経典などを送ったのもこの時期です。聖王は、積極的に仏寺の造営をすすめ、王興寺・定林寺などの寺址が扶余で発見されています。しかし、聖王は、554年に新羅との戦いで戦死します。


百済 扶余 定林寺
滅亡の傷跡を残す
扶余・定林寺 五重塔


 その後、百済は次第に、かつての宿敵・高句麗と同盟を結ぶようになり、百済最後の王となる第31代義慈王は、執拗に新羅に攻め入ります。国際的にも孤立することとなった新羅は、善徳女王をはじめとして、唐に救援を求めるようになります。

 はじめは新羅と百済の和平を求めていた唐ですが、百済 義慈王に和平の意思はなく、唐の3度にわたる高句麗制圧も失敗に終わると、新羅と同盟を結び、百済を攻撃する方針に切り替えていきます。

 こうして半島情勢は、「百済-高句麗」VS「新羅-唐」の対立構造となり、日本(倭国)ががどちらに着くかが外交の焦点となりました。


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★百済の歴史
■建国〜漢城時期(前18年-475年)
■中期 熊津時代(475年-538年)
■後期 サビ時代(538年-660年)
■滅亡と白村江の戦(660-663年


★百済63年の都 公州観光
★百済最後の都 扶余観光

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