百済滅亡と白村江の戦い
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百済の歴史

■滅亡と白村江の戦(660-663年)
扶余 扶蘇山城
扶余・扶蘇山城より白馬江を望む

 660年、ついに唐は13万人の大軍を動員、新羅の5万の兵と連合して、百済に攻め入ります。

 百済軍は、黄山之原(現在の忠清南道 論山)において決戦に挑み、善戦するも新羅軍に大敗。一方、唐軍を白江(現在の白馬江。錦江の中流 扶余付近)に引き込む作戦に出るも大敗。

 唐軍がサビ城を包囲すると、義慈王は旧都の熊津城(錦江の中流域)に脱れたものの降伏し、ついに百済は滅亡したのでした。

 百済の滅亡後も、百済の遺臣たちは百済復興を願い、各地で抵抗を続け、人質として日本へおくられていた百済の王子豊璋も、高句麗や日本(斉明天皇、中大兄皇子ら)の支援を受けて、唐・新羅連合軍と戦いますが、内部分裂を起こしてしまいます。

 日本(倭国)からも、3万7千人余りの軍が送られ、豊璋らとともに、663年、「白村江」(今の錦江?)の河口付近で、唐・新羅の連合軍と戦いますが、結果、大敗に終わりました。日本史上の「白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦い」です。
白村江?河口付近 群山
白村江?錦江河口付近(群山)

 百済滅亡についで、唐・新羅連合軍は、668年に高句麗を滅ぼし、「三国時代」に終わりをつげたのです。統一新羅の時代がはじまったのでした。

★百済の歴史
■建国〜漢城時期(前18年-475年)
■中期 熊津時代(475年-538年)
■後期 サビ時代(538年-660年)
■滅亡と白村江の戦(660-663年)


★百済63年の都 公州観光
★百済最後の都 扶余観光


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