百済の歴史 建国神話
韓国旅行専門 携帯用サイト

百済の歴史

■建国神話 (前18年〜)

 韓国の三国史記によると、百済の建国は、紀元前18年となり、高句麗の祖である朱蒙(チュモン)の三男、温祚によって建国されたとされています。温祚は、慰礼城 (現在の広州市 南漢山城か?)に都を定め、10人の臣下にちなんで、国の名を「十済」と呼んだのが始まりとされています。

 韓国の教科書でも、紀元前18年を百済建国の年として採用しているそうですが、韓国の歴史家の間では、紀元前1世紀から紀元後3世紀まで様々な説があり、日本や中国では3世紀頃の成立という見方が有力です。

■前期 漢城時期( - 475年)

三国時代の地図、5世紀終わり頃。(C) Evawen

大陸から半島北半分を占めているのが高句麗。左下が百済。

 中国の史料の上でも「百済」の存在が明確になるのは、第13代の近肖古王(346年即位)から。この頃の百済の都「漢城」は、ソウルの南、風納土城、夢村土城(現在のオリンピック公園)と考えられています。

 近肖古王の時、拡大を続ける高句麗に対抗、百済は平壌まで攻め入り、故国原王を討ち取るものの、のちの高句麗の広開土王に反撃され、そのため、新羅、日本(倭国)と同盟を結ぶようにもなりました。

 しかし、475年、高句麗・長寿王に攻め入られ、ついに首都・漢城は落城、時の第21代蓋鹵王は捕らえられ、討死しました。

>>次へ

★百済の歴史
■建国〜漢城時期(前18年-475年)
■中期 熊津時代(475年-538年)
■後期 サビ時代(538年-660年)
■滅亡と白村江の戦(660-663年


★百済63年の都 公州観光
★百済最後の都 扶余観光


TOPページに戻る

★お問い合わせ★
 こちらは、にこまるツアーの韓国旅行携帯サイトです。
 お客様の笑顔を目指して、すべてオーダーメイドの手配を行なっています。

営業時間 月〜金 9:00〜18:00
TEL.03-5812-7080

★詳しくは ぜひPCサイトで★
自分のPCに URLをメール

(株)HMC にこまるツアー
東京都知事登録旅行業3-3609号
〒110-0016 東京都台東区台東4-30-8 宮地ビル本館7F TEL.03-5812-7080 FAX.03-5812-7085


TOPへ戻る

PC版ホームページ
http://www.nikomaru.jp/
(C) Nikomaru tour

ASPアクセス解析