甘川文化村の裏側|カラフルな街並みと、その前にあった暮らし

知られざる住宅地から、世界に知られる観光地へ

甘川文化村の裏側
ⓒPhoto Korea-Busan Tourism Organization
 釜山を代表する観光地として知られる「甘川文化村」
 山の斜面に連なるカラフルな家々や、迷路のような路地は、今や多くの観光客を惹きつけています。

「華やかな表情の裏で、どんな歴史や工夫がこの街を形づくったのか。」
 この街が最初から「観光地」として存在していたわけではありません。その背景には、時代の流れと、そこで暮らしてきた人々の生活がありました。

観光地になる前の甘川の街と暮らし

斜面に建てられた住宅街
ⓒPhoto Korea-Kim Jiho KTO
 甘川文化村の始まりは、1950年代の朝鮮戦争までさかのぼります。
 戦争によって住む場所を失った人々が、釜山の山の斜面に集まり、家を建てて暮らし始めたのが、この街の原点です。

 限られた土地に、生活の場を確保するため、家々は段々に、隙間なく建てられていきました。
 現在の独特な街並みは、こうした当時の暮らしの工夫から生まれたものです。

過疎化を防げ!観光地化への挑戦

アートを取り入れた甘川おしゃれなカフェや雑貨店も
ⓒPhoto Korea-Kim Jiho KTO
 長い間、甘川は、観光とまったく無縁の「暮らしの場」でした。
 便利な場所とも言えず、人口減少や高齢化が進み、街の将来が課題となる中で、2009年前後から、行政と外部関係者、地域住民が関わる取り組みが始まります。
 そこに暮らす人々と外部の関係者が関わることで、街は少しずつ新しい役割を担うようになったのです。

 アートやデザインの力を取り入れ、街そのものの魅力を見直すプロジェクトが動き出したことで、甘川文化村は少しずつ注目を集めるようになりました。

観光がもたらした暮らしの変化と今

彩られた住宅街の裏路地生活の場の隣で
ⓒPhoto Korea-Kim Jiho KTO
 観光客が増え、街には新しい活気が生まれました。
 カフェやギャラリーができ、地域の知名度も大きく向上します。

 一方で、観光地化は、すべてが順調だったわけではありません。
 暮らしの場に人が押し寄せることへの戸惑いや、住民と店舗経営者、観光客との距離感の調整など、さまざまな課題も生まれました。

 「観光地としての顔」と「暮らしの場としての顔」。そのバランスを模索しながら、甘川文化村は現在の姿へと築かれていきました。

今、甘川文化村をどう見るか…

星の王子様は甘川文化村をどう見ているのか
ⓒPhoto Korea-Busan Tourism Organization
 甘川文化村は、単なるフォトスポットというだけではありません。
 戦後の暮らし、地域再生への挑戦、観光との共存――
 そうした時間の積み重ねが、今の景色をつくっています。

 観光として訪れる方にとっても、視察や研修で関心を持つ方にとっても、
 「なぜ、こうなったのか」
 を知ることで、街の見え方が変わってくるのではないでしょうか…

公式情報・参考リンク

甘川文化村の歴史や成り立ちについては、公式サイトでも紹介されています。
より詳しく知りたい方は、以下のページもあわせてご覧ください。

甘川文化村 公式サイト(歴史紹介)
 ※ 歴史やプロジェクトの背景について詳しく紹介されています。
 https://www.gamcheon.or.kr/?param=intro1

にこまるツアーの視点

 にこまるツアーでは、「有名だから行く」ばかりではなく、その土地が歩んできた背景を知る旅も大切にしています。

 甘川文化村も、見た目の華やかさはもちろん、その裏側にある人や街の物語も感じてこそ、印象に残る場所になると考えています。
 自治体職員や企業研修、まちづくり視察としても一見の価値がありそうです。