イスラエル聖地ご案内|エルサレム旧市街 嘆きの壁・黄金ドーム

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エルサレム
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―エルサレム旧市街―
嘆きの壁の前で祈るユダヤ人
嘆きの壁の前で祈るユダヤ人

●エルサレム旧市街(世界遺産)
エルサレム旧市街

 現存するエルサレムの旧市街の城壁は、1538年に建造されたもの。周囲の長さは約4.5 kmです。
 城壁内はユダヤ教徒地区、イスラム教徒(ムスリム)地区、キリスト教徒地区、アルメニア人地区とにわかれています。
 特に、ユダヤ人地区とイスラム地区が接している聖地「神殿の丘」は、セキュリティでこそ仕切られていますが、城内では実に不思議な均衡を保ちながら、両者が生活しています。
 イエス・キリストが十字架を背負い歩いたヴィアドロローサも旧市街の中にあります(「十字架の道」参照)。2000年前の石畳も残っており、一部は現在も使われています。実に、遺跡の上に建てられている街なのです。
 城壁や建物はエルサレムストーンという白い石灰岩で作られており、町並みの作りは、当時の面影をそのままに残しています。
 
神殿の丘・黄金ドーム
黄金ドーム
奥に見えるのがオリーブ山。
● 神殿の丘(モリヤの山)
 古くはアブラハムがイサクを捧げたとされるモリヤの山であり、イスラエルの神殿が建てられていた場所です。
 最初に神殿が建てられたのが、紀元前10世紀のソロモン王の時(第一神殿)、次に、バビロン補囚後、ゼルバベルらによって第二神殿が建てられ(BC515)、さらにAD20年ヘロデ王によって全面大改修が施されました(ヘロデ神殿)。
 悪評高いヘロデ王ですが、彼は公共事業では数多くの業績を残した人物です。ヘロデ神殿の評判は諸国に広がり、諸国に滞在していたユダヤ人をはじめ、多くの参拝者が訪れるようにもなったようです。
 しかし、AD70年ローマによって神殿も破壊され、西側の壁(嘆きの壁)の一部だけが残りました。
 現在はイスラムのモスクである黄金ドーム(岩のドーム)が建てられており、ユダヤ人は、この領域には立ち入ることができないようになっています。


神殿の丘・異邦人の庭
異邦人の庭
◎ 異邦人の庭
 イエスは宮にはいり、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、…彼らに教えて言われた。
 「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」  マルコ11:15〜17

 嘆きの壁の左脇から神殿の丘に上がっていくと、黄金ドームのある丘の頂上手前に広場があります。ここが、主イエスが宮清めをした場所、「異邦人の庭」だった所です。
 異邦人はこの広場までしか入れないので、この広場でイスラエルの神に祈りを捧げられるはずでした。

 ところが、この場所で諸外国から訪れるユダヤ人相手に商売が行われていたために、それができなくなっていたのです。イエスが宮清めをしたのは、実に異邦人の祈りを守るためだったともいえるのです。

◎ 嘆きの壁(西の壁)
 エルサレムの平和のために祈れ。
  「おまえを愛する人々が栄えるように。
   おまえの城壁のうちには、平和があるように。
   おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように…。」  詩篇122:7〜6

 神殿の丘の西側にあるのが通称「嘆きの壁」です。
 下から7段目までがヘロデ王が改修工事をした際の壁で、その上は後の時代に積み重ねられたもの。すべて白色のエルサレムストーンでできていますが、詰まれた年代の違いによって層ができています。地面の下にも実は14段ほど壁が埋まっています。
 詰まれた石の重さは、祖国を追われることになったユダヤの歴史の重さとも言えるかもしれません。

 ユダヤ人たちが、祖国復興、神殿再建を願い、この場所で祈る姿から「嘆きの壁」と呼ばれるようになりましたが、しかし、のユダヤ人たちは決して嘆いているばかりではありません。そこで神に礼拝を捧げ、時に喜び、感謝の祈りも捧げられています。

嘆きの壁と神殿の丘 嘆きの壁の前で聖書を読むユダヤ人
神殿の丘と西の壁(嘆きの壁) 嘆きの壁の前で聖書を読むユダヤ人
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