食の全州、海の麗水…、知られざる全羅道の魅力

ですが、ビビンバ発祥の地(!?)とまで言われる全州、なんと日本式の前方後円墳まであったり、朝鮮時代の生活文化を残す楽安邑城、海割れの珍島をはじめとする多島海など、海あり、山あり、知られざる魅力がいっぱいです。
全羅道っていずこ?

ソウルから光州までは、KTX高速鉄道で約3時間。釜山から光州までは、車で約3時間。
光州広域市は、行政区分上、道とは別れていますが、元々は全羅南道の道庁所在地で、一帯を代表する都市です。
【全羅北道】歴史と伝統文化が息づく 全州

朝鮮王朝を建国した李成桂の本籍も全州(全州李氏)であったことから、李成桂の肖像画を奉る慶基殿があります。この辺り一帯は独特の屋根瓦の韓屋が約800棟が密集した韓屋村となっており、伝統酒博物館や韓紙つくりなどの伝統文化にも触れることができます。
(写真は慶基殿入口)

伝統酒博物館。いいお値段…

韓屋村の路地裏にて。

韓屋村の路地裏にて。
●食は全州にあり!? グルメの街 全州ビビンバ

全州特産の豆もやしや緑豆、同じく全羅北道の淳昌(スンチャン)特産のもち米コチュジャンと、ナムルの味付けや隠し味にチョプチャンと呼ばれる3~5年寝かした醤油が用いられ、約30種類と言われる具材と見事に調和して、味わい深い味を出しているのです。
この全州周辺は昔から韓国有数の穀倉地帯で、ビビンバに限らず、グルメで有名な地なのです。
ビビンバの起源には諸説がありますが、少なくとも全州では約200年ほど前から食べられていたようです。しっかり土地の「味」が混ぜ合わされているのです。
夕食なら、郷土韓定食(白飯定食)もおすすめ!
【全羅南道】日本の前方後円墳が残る羅州と国立光州博物館

百済か地方豪族の勢力誇示のために、この地では特殊な前方後円墳を作ったとも考えられていますが、中の甕棺や副葬品が、百済式ではなく、むしろ日本(福岡の出土品)に近いことから、百済に協力するため、この付近に移住した倭人(日本人)高官の墓ではないかと考えられます。出土品の甕棺などは、光州博物館に行くとみることができます。
●全羅南道の歴史文化財が保存される国立光州博物館

光州は、高麗(コリョ)時代以降に光州という名称になりました。羅州の古墳群から発見されている甕棺や金銅冠をはじめ、先史時代から百済、新羅…、朝鮮時代に至るまで時代別に展示されています。
【全羅南道】 朝鮮時代の生活がそのまま残る 楽安邑城民俗村

南部地方特有の住居様式を見ることができ、この地方の特徴がよく表れた台所や土間、縁側などを見ることができます。
楽安邑城 東軒 楽安邑城 民家 楽安邑城 チャングムロケ地
地方官庁として使われた東軒・使無堂 民家や生活様式、民俗文化も体験できる 「チャングムの誓い」でも使われました

地方官庁として使われた東軒・使無堂

家や生活様式、民俗文化も体験できる

「チャングムの誓い」のロケでも使われました
【全羅南道】順天 韓国の三宝寺刹の一つ 松廣寺

創建は新羅時代の末期と言われています。1842年(憲宗8年)の大火事、1948年の麗水・順天事件、1951年北朝鮮のスパイ乱入事件等でほとんどの建造物が繰り返し消失してしまいましたが、1984~1988年まで第8次に渡り、再建されました。
【全羅南道】李舜臣率いる朝鮮水軍の拠点 麗水

秀吉の朝鮮出兵の際には、李舜臣(イ・スンシン)の率いる朝鮮水軍の拠点となった場所。大本営のあった「鎮南館(当時は鎮海楼)」は、戦いの際に焼けましたが、その後、間もなく、再建され、約300年前の建物が残されています。
【全羅南道】 「夏の香り」ロケ地 韓国一の茶どころ 宝城茶園

もちろん、お茶の試飲も可能ですので、全羅南道を回る際、韓国の緑茶を味わいに立ち寄ってみるのも面白いかも。
【全羅南道】自然の不思議を体感!珍島の海割れ

木浦(モッポ)から、車で約3時間。全羅南道でも南西端にある珍島(チンド)は、「神秘の海道」「モーセの奇跡」とも形容される海割れ現象で有名です。海割れは、潮の満ち干きの加減によって、冬から春にかけてのみ見られます。
拠点となる木浦には、現在、南道道庁があり、ナクチ(いいだこ)料理が有名です。
全羅道の旅 オーダーメイド参考価格
※全羅道方面は、ソウルからも釜山からも離れており、各地での移動にもお時間がかかります。オーダーメイドしますので、ご希望の観光地、人数と一緒にお問い合わせください。
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